『世話の焼ける人々』
「もみじちゃん、あんまり無理しちゃだめですよ。」
優しく笑いながら、だが少し心配そうに凪が言う。
「大体、この肌寒い時期にあんな格好(ヘソ出し)で歩き回るからいけないかも…。」
さり気にキツく、しかしやはり心配そうに、猫湖が言う。
「……おう。」
清熊は、一言返すのがやっとだった。
朝から、何か気だるいとは思っていた。
しかしまさか部活へ行く途中にぶっ倒れるなどと思いもせず、自分で驚いていたりする。
熱を測ってみれば38,6。普通なら即早退だが、どうせ家に連絡しても誰もいないから・と、無理を言ってこうして保健室で休ませてもらうことにしたのだ。もちろん、そのうち落ち着いたら自力で帰るつもりである。
「じゃあ、私たちは行きますけど…お願いだから無理して一人で帰ったり部活に来たりしないで下さいね。」
「もみじ、それじゃ……かも。」
「おう…ま、頑張れよ。」
凪の言葉に、YESとは言わなかった。
部活時間も半ば過ぎた頃、保健室の引き戸を開く者がいた。
がらら、という少し大きな音に清熊は顔をしかめ、少しカーテンを開けて音のした方をみやる。
そこには、土やら何やらで汚れに汚れた、見慣れているユニフォーム。
「……子津?」
「うわわっ!!…………き、清熊さん!?」
思わずかけた清熊の言葉に必要以上に飛び驚き、慌てて子津は振り返った。その拍子に、持っていた包帯らしきものを取り落とす。
「ななななんでっすか清熊さん、どうしてこんなとこに……」
「そりゃこっちのセリフだよ。なんでお前、こんな所にいるんだ?部活は…」
言いかけた清熊の目が、子津の手にとまった。もう包帯はボロボロ、血と土のおかげですでに白いと呼べるような部位は見当たらず、どう見ても不衛生なことこの上ない。
「…だぁぁっ、コラてめえ子津っ!こーゆーのはすぐに俺ら(マネージャー)呼べって言ったろが!!」
いきなり怒鳴った清熊に子津は野球をしている時の男気はどこへやら、思わずひっと小さく悲鳴をあげる。
「す、すいませんっす…やっぱり気が引けてしまって。」
すっかりしょげたように小さくなる子津に、思わずため息をつく。本当に、球を投げている時とはまるで別人のようだ。
「で、自分でこっそり包帯だけでも取り替えようと思って来たってわけだな…ったく、包帯だけ替えたってなんも変わりゃしねえだろ?消毒しとかなきゃさ。」
「は、はあ……あの、自分はただ投げる時に破れた包帯が邪魔だっただけなんすけど…」
「あ゛――っ、うるっせぇな!!黙って手ぇ出せ!俺がやってやるよ!!」
ったく、男ってのはこういうのには鈍くて不精なんだからな…と、ぶつくさ言いながらも消毒液の瓶を棚から取り出そうとする清熊は、とても人に優しくて好い人なのだ、本当は。
なのに自分ではそれを認めようとしない彼女がなんだか面白くて、失礼だとは思いながらも子津はこっそりと苦笑した。
「あーあー、ったくよー、よくもまあこんなになるまで放っとけるよなあ。」
ぽんぽんと軽い音を立てながら、手際よく消毒液を手の傷に塗り付けていく。時折子津が痛みに顔をしかめたが、それには全くお構いなしで強く塗っていった。
こういう奴に限って性根が頑固でなかなか改めなかったりするのである。多少は強引な手も使わねばならない。
「なあ……お前、そんだけボロボロになってさ。」
塗り始めて間もなく。
「どうして、そこまで頑張んだよ。」
ふと、聞いてみた。答えは聞かなくても分かっていたけれど、なんとなく。
「…追いつきたいからっす。皆に追いついて、またもう一度いっしょに並んで笑いたい。」
それから何より、と続ける。
「…投げることが、好きだから。」
微笑って言う彼が少しまぶしく見えて、清熊は軽く目を閉じ、そうかと短く返した。
白い包帯が、消毒液で茶色っぽくなった皮膚を覆い隠していく。瞬く間に巻かれていく白布を、子津はぼーっと眺めていた。
が、突如ぎょっとして一瞬身じろぎをする。即座に清熊に睨まれてすぐに固まったものの、一旦理解したことは頭をついて離れない。
手当てが始まって約五分にしてようやく(少々遅いかもしれないが)気付いた。
今、自分の手は、清熊の少し細くて白い指にしっかり掴まれて。
まるで、握られている、ような。
……そんなこと言ったらまたきっと怒られるけど…でも………………でも。
恥ずかしい。
だんだん頬が赤くなるのを感じながら、それでも彼はただ黙っていた。
「…はいっ、終わり!あんま無茶すんじゃねぇぞ。」
「あ、ありがとうございました!」
助かった、とばかりにぱっと手を引いた子津を少しいぶかりながら、清熊は余った包帯をくるくると器用に巻いていく。
その手つきが、少しずつおぼつかなくなっていた。
あれ、と子津が声をあげた。
「そういえば清熊さん、なんでこんなとこ」
に、まで言う前に、清熊の体が大きく傾いでいた。
「え゛」
手当てのため一つの長いすに子津と向かい合うように座っていた彼女は、倒れれば必然的に子津の方へ。まあ反対側に倒れていれば椅子から落ちて頭から床に激突だったから、幸いと言えば幸いだったろう。
しかし子津にとってはまさに青天の霹靂であって何がなんだかっていうか青天の霹靂がこの場合に当てはまるのかも分からずとにかく慌てる以外に出来ることなどない。
「ききき清熊さんっ!?なんですかどうしたんすかっ、うわ熱いっすよ大丈夫っすか!!?」
清熊はいつも部活の時に着ている半そでの体操服のため、体を支えようと手を添えれば素の腕に触れる。それでなくても体温が伝わってきていて頭の回路がショート寸前だというのに、これでは赤くなったりするなという方が無理だ。
「あのっ、清熊さん!!」
「わりい…俺、ちょっと熱あって…さ。大丈夫かと思ってたんだけど…はは、やっぱやべえかも。」
「ええ!?そんな状態で僕の手当てなんか…あーもうっ、無茶してるのは清熊さんじゃないすか!!」
「…かも、しんない……」
「ととととにかく早くベッドに戻って…そうっすよよく考えたら清熊さんベッドの方から出て来たんだっ、うわーなんで気が付かなかったんだろう僕はっ…」
心底しまった、というふうに慌てふためく子津をぼやけた視界の彼方に見上げながら、清熊は目を閉じた。何故だか猛烈に眠くて、そして頭の中で何かがぐるぐる回っている気がする。
子津は本っ当に、いつも慌ててるよなあ…などと、他人事のように思っていた。
「――あれ、清熊さん!?ちょっと…あの、聞こえてるっすか!?清熊さ……」
急にそれまでに増してぐったりと力の抜けた清熊を案じ、ますますもって子津が焦って声をあげた、その時。
「だーかーらっ、僕は大丈夫だって言ってるでしょー!?兄ちゃん!」
「うるっせぇな、そんな額と腕からだらだら血ぃ垂らしながら言ったって説得力ねぇんだよ、バカ!!」
「バカって何さっ、大体頭から血を流してんのは兄ちゃんの方じゃん!」
「阿呆、こんなん怪我の内にも入んねーんだよ!!」
「うっそだ――っ、だって全速力ダッシュしてた僕と激突してそのまま後ろに飛んじゃってベンチの角に頭思いっきりぶつけたの、僕見たもん!!」
「それを言うなら俺だってなあ、そのあとお前が吹っ飛んで破れたフェンスの針金で思いっくそ腕切ってその上デコっぱち柱に擦ったのをバッチリと見……」
がらり、と、保健室の引き戸が開けられた。
「………た?」
「あれ?」
「え゛?」
三人の視線が、正確には一人と二人の視線が、絡み合った。
「……。」
一瞬にして二人――要するに猿野と兎丸が固まる。無理もない、彼らの目に飛び込んできた光景、それは野球部の中でもとりわけ恋愛事に無関心そうな女子マネージャーと熱血真面目努力家が、どう見ても抱き合っているというものだった。
「……え――…と。」
猿野が兎丸をおぶったまま、ぽりぽりと頬をかく。兎丸はぴょんとその背から飛び降り、
「ごめ〜んっ、お邪魔しました――――っ!!!」
「わああああああっ、待ってっ、待って下さいっす兎丸くん――――!!」
ダッシュでその場から逃げ去り、この衝撃的事件を早くみんなに知らせようとした兎丸は、即座に反応した猿野(自分だけ取り残されると面倒そうだと判断したらしい)によって結局はばまれた。
「おっ、お願いっす二人ともっ、清熊さんベッドに運ぶの手伝ってください!!僕一人じゃちょっと…この体勢から抜け出すのも難しくって」
「ええ?どしたの、モミジちゃんどっか悪いの?」
「はいっす、なんかすごい熱で……」
「おいおい、やべぇんじゃねえの?顔真っ赤だぜ。お前もだけどな」
「こ、これは違っ……」
「わぁってるよバーロー。お前(も)女の子に免疫なさそーだもんな。おいスバガキ、そっち持て。俺は肩持つから子津はそのまま支えて持ち上げろ。」
「はぁーい。モミジちゃん、大丈夫〜?」
「だ、駄目なんすよ。さっきから返事がなくって…」
「オラいくぞー。いっせーのーせっ!」
三人が同時に力を込めた。…が、猿野一人だけかなり力が抜きん出ていたため、非常に不安定な体勢になる。
「ちょっと兄ちゃん!僕、背低いんだから、もうちょっと加減してよ!」
「あ゛ーうるっせぇなあ、んじゃ俺一人でかつぐよ。どけ、てめえら。」
「ええ!?」
一瞬子津が戸惑いの声を上げたが、猿野はそんなもの意にも介さず軽々と抱き上げ、そしてぼすんとベッドに放り込んだ、否、寝かせた。
「…もーちょい丁寧に扱えねえのか、てめえは……」
「あっ、清熊さん!!」
「うわっ…えと、もみじサマっ!大丈夫でしょーか!??」
「気持ち悪いからその呼び方やめろ、そして失せろバカ猿。」
「あははモミジちゃん犬飼くんの喋り方うつってる〜まあどうでもいいよねそんなの、とにかく大丈夫〜??」
「あー大丈夫だ、大丈夫。いいから兎丸も猿野もとっとと自分の体の心配しな。そんな血まみれじゃあ凪なんか見た途端泣き出すぜ。」
清熊の言葉で急に慌てふためき始めた猿野に兎丸はくっついて歩き、治療箱のほうへ消えた。子津はと言えば、ここで去ってもいいものかどうか考えあぐねて動けずにいる。
と、清熊の声がした。はっとそちらを向く。
「とっとと行けよ。お前にゃやることがあんだろ。」
その言葉に子津はしばらく戸惑ったものの、すぐにぴんっと背筋を伸ばして、
「はい!」
元気よく、返事をした。
それじゃお大事にっすと言い置いて駆け出した子津の後姿を少しだけ見つめてから、ふっと息を吐く。カーテンの向こうから猿野たちと話す声が聞こえたが、じきに聞こえなくなった。半分漫才化した猿野と兎丸の会話だけが残される。
「……なんか、世話の焼ける奴ばっかだな。この部…。」
呟き、そっと目を閉じた彼女の頬を赤く染めたのが果たして熱だけだったのか、それとも他に何か原因があったのかは、定かではない。
ただ言えるのは、彼女も紛れも無く“世話の焼ける人”だということであった。
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前から書いてみたかった子熊です。ミスフルノマカプでは猿凪を別にすれば一番好き。猿凪はもう別個ってことで…(笑)
いいじゃないですか子熊。マイナーでもなんでも良いじゃないですかだって理想ぴったりでしょ清熊さん?(ぇ
けっこう一時期ハマってたのでもっと増えるかと思ったんですが、案外増えませんでした。でも日朝の子熊バカっぷりはIMGのほうのもみじ誕生祝漫画に出てます(古いので絵が丸い…)
努力してる子津が好き。なので、私が子津を話に出すと必ずと言っていいほど血と泥まみれの包帯の描写があります。多分。だってすごいと思うんですもん、ピッチング練習でそんなんなるなんて…!!